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まひるのサンタ!

タタキ・その昔


昔のタタキ釣り



◆日本にも古くからの伝承的なバケやツノ、エギなどのルアー的ツールは存在していた。

それらはまさしく日本のルアーである。

画像は日本に於ける昔の擬餌針

一番左のものはキセルの真鍮の吸い口だそうで、中に鉛を流し込んでアイとハリスを取り付けているが、スプーンかメタルジグを彷彿とさせる。

もちろん渓流でも日本のフライフィッシング「テンカラ」でイワナ、ヤマメを釣っていた。
ルアーの起原としては古今東西人間の考えることは同じらしい。

それももっとも“魚はいつも変わらないのだから”自然観察の結果、あるいは偶然の発見により、いずれルアーは生まれることになるが、18~19世紀頃と意外に歴史は浅いらしい。
ちなみにフライフィッシングはかなり古く紀元前の記録まで残っているそうだ。

日本ではエビの形に似せたエギがあったのに対し、魚の形「ミノー」がなかったのか不思議だ。アジやイワシ、エビ、ドジョウなど生エサが豊富だったためわざわざ作る必要もなかったのだろう。

戦後かなり経った60〜70年頃、ルアーフィッシングが流行りだすまで、日本製のルアーは製造されなかったようだ。ルアーの商品価値が認められるまではしばらく時間を要したようだ。
釣りが西洋のスポーツ的な指向に対して日本では食べるため、という根本的な目的の違いもあったり、エサ釣りが主流だったためかもしれない。

また、ルアーはブラックバスの輸入と大きく関わっていたと思う。
大正時代、実業家赤星鉄馬という人がタンパク源の食用としてアメリカからオオクチバスを持ち帰り、政府の許可の下に芦ノ湖に放流したとされている。

戦後、進駐軍(在日米軍)の娯楽としのルアーやフライ釣りを日本人が見たことから、折りからの経済発展のなか、レジャーブームと欧米文化への憧れとともに、ルアー・フライが急速に広まった。


◆タタキ釣りは「日本古来のルアー釣り」と言われている

古い書に「銚子の犬吠埼あたりや南総の太東埼、勝浦八幡岬あたりの相当波浪の荒い磯で屈強な釣り人が三四間の頑丈な長竿を大振りに振っては針を打ち込んでいる姿を見たことのある人があらう。中略‥‥‥

古くは相州酒匂川口でも盛んに行われたものであるといい、千葉県ばかりでなく、常磐方面や伊豆半島の南岸から西は九州各地に亙って全国の漁村に廣く行はれている」と記述されている。

ただ、同じ釣法でも地方によっては「タタキ釣り」とは呼ばないようである。


◆当然、リールなどもなかったので、三、四間(6~8メートル)もある竹のノベ竿に、バカ(竿より長い糸)をだして“バケ”というより貝殻に針と魚皮を縛り付けただけの簡単な“ルアー”を打ち込んでいたそうだ。

まだ飛ばし浮きも付けないで、ちょうど日本の渓流釣りの“テンカラ”の海バージョンと言ったところだ。

その光景が海面をたたくようだったので“タタキ”と言われるようになったと聞いた。
鳥の羽を使ったバケといい日本の古くからの「ソルトフライフィッシング」が正しいかも知れない。

長い竿を振るのはさぞや大変だったことだろう。
バカをだしてもせいぜい20メートルそこそこしか飛ばないわけだが、スズキは案外足下まで小魚を追ってくるもので、それでじゅうぶん釣りになったのだろうし、昔は魚が濃かったのかもしれない。

また後に、飛ばしウキを竿に引っかけて仕掛けを遠投し、“てばね”で竿を使わずにたぐりよせた、とも聞いたことがある。

当時の釣り人が現代のタックルを見たらさぞやうらやましがることだろうが、まぁ、その時代時代、それなりに釣りを楽しんできたにちがいない。

スピニングリールの出現や、軽くて弾性のある新素材の強靱な竿などのタックルの進歩のおかげで、飛躍的に飛距離がのび、遠くのポイントも攻められるようになった。




◆近年
日本ではルアーやフライなど洋風の輸入釣法が定着し、かつては、マスやブラックバスなど淡水魚から流行り始めたが、いまでは洋風の海釣りを“ソルト”などと呼んで、ジャンル分けしてしまった。

スズキまでも“シーバス”と呼んだりフライフィッシングにいたっては、カタカナの洪水で、この分野でも外国かぶれや西洋コンプレックスが現れている。

生臭いエサが要らないことやスポーツ性など「スマート」さ、が若者を惹きつけたのか、ルアーやフライフィッシングの釣り人が急増した。



◆日本で真鍮のキセルの吸い口を使ったように、外国でもスプーンの発明は「ボートからスプーンを落とした時にマスが食いついた」のを目撃したことから、と言われているが、日本の漁師も「キセルを落としたときに魚が食いついた」のだろうか。

また、餌釣りではドジョウなどを縛りつけた針の遠投なども昔から行われていて、やはり“タタキ釣り”と呼ばれていたようだが、これはまさしく「ワームのリグ」である。

また、漁師が浮遊している焼け焦げた木片にミズイカが抱きついたを目撃して思いついた、のがエギだという。

「焼け焦げた・・・」というところがミソだが、たしかに焦げた部分は水をはじいて水中で光る要素になる。

いずれも「真偽のほどは・・・」だが、実際に目撃でもしなければ「焼け焦げた木片」など思いも寄らないことだし、それらの擬餌バリの発明はなかったのではないか、と思う!


◆昔のエギ・餌木

釣り辞典や歴史資料などにでている昔の本物のイカ釣りルアー“えぎ”

ボディー材は伝統的にはクサギ、アマ木、桐、タラの木などを使い寛永通宝などをウェイトとして装備、骨董的な味わいさえある。

ヤキゴテまたは炭で焼いた模様はイキで風情があり実に美しい。


それに比べて最近のエギは、カラフルでギンギラギン、一昔前の場末のキャバレー!おまけに網タイツまで着けている!

そして、エギングなどと妙な造語まで作った。

はたして新旧両者の釣果に違いがあるのだろうか?

残念ながら私も実釣で比較したことがないし、昔のエギで試釣した話は聞いたこともないが、昔のエギは今でも釣れるに違いない。

今も昔もイカの生態は変わらないだろうし・・・

上の画像は、釣り好きの祖父が使っていたもので、漆塗りの小さなタンスにぎっしり詰まっていたエギの一部。


ピカピカのリールやギンギラのルアー同様、昨今の派手なエギも釣り人を釣るメーカーの販売戦略、なんのことはない、釣られているのはつり人だ!。


バケの様式

そもそもバケって何の形?



◆図は“江戸前擬餌バリ”

この種のスタイルのバケはもともとサバなど青物用で、東京港あたりではフッコ釣りに使われていたそうだ。
以前にはもっと簡単なツノを使っていたようだ。

江戸前と言っても類似したバケは全国的にあり、高知あたりでも“土佐カブラ”という疑似針があったが最近はあまり見かけなくなった。

2~30年前には、千葉外房あたりの釣具店でバケを在庫しているところもあったが 最近は入手が困難になってしまった。

また、ルアーに転向する釣り人が増えたことでこの種のバケの需要も減少したが、
逆に、ルアー系の シリコンゴム製ミノーやワームなどのソフトルアーの人気が高まって、しかも安価と言うメリットでタタキ釣りに応用されるようになった。

何を隠そう、私自身も一生懸命作ったバケは、根掛かりや消耗を思うともったいなくて、普段は安価なソフトルアーを多用している。

(みなさん、当工房製バケは無駄に高価ですからお勧め致しません!)

?!ライン





簡単なツノ

◆伝承的な高級品は短冊型のアワビやシロチョウガイをはめ込んだ錫のヘッドに、スカート(腰巻き)にサバ皮、ハゲ皮ガンゾウなど魚の皮をあしらった骨董的でアーティスティックな美しいものがあった。

資料として残しておくべきだったが、そもそも需要も少なく、製造元職人が高齢でやめてしまったことだろうし、老舗の小さな釣具屋さえも廃業、入手出来なくなって久しい。



◆これらのバケが自然界の何を模しているのか、魚でもエビでもイカでもない。



フライフィッシングの世界で、毛針にはイミテーションフライの他にファンシーフライというのがある。

ご存知のように“マッチザハッチ”と言って「その時期その場で魚が好んで捕食している昆虫に模したイミテーションフライが最もその場に適している」という意味だが、一方では何にも似ていないファンシーフライという創作毛針がある。


ルアーの世界でも本物そっくりな小魚(ミノー)も人気だが、独創的なルアーも多い。

スプーンやスピナーもそうだが、
特筆すべきは“BIGBUD”!
小さなバドワイザーの缶ビールボディーの驚くべきルアー。
最高のアメリカンジョークだが、実際にそれで釣れるからなんとも・・・

実際、渓流釣りでヤマメなどの胃袋を調べるとけっこう木片などのゴミなども混ざっている。

フライアングラーは、一生懸命、必要以上、繊細に毛バリを巻き上げるが、やはりある種の空しさをおぼえる!

言ってみれば、私のバケの場合もファンシーフライと言えるだろう。
“マッチザハッチ”にはほど遠く、何のベイトにも似ていないが、逆にいつでも使えるという面もある。

当工房では多少でも“マッチザハッチ”的に“サヨリ”など、バリエーションを作っているが・・・


タタキツール・価額と在庫表


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